あやしうこそものぐるほしけれ

ぼくは突然考えた。

生きているならこれから向かう世界のために何をすればいいのか。

 

もうこの6年間、働くのもやめた。

毎日、毎日、毎日、毎日、時間があって時間はあり余っている。

なんのために生きているのか。飽きてしまった。

そのくらいに虚しい。

僕の役割もふたつ終えたような気がする。

僕の中での僕1.0、僕2.0は終わった。僕は3.0に向かうのか。

 

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて

心にうつりゆくよしなし事を、、、そんな気分の何年もを

これから何年も過ごしていくのかって

そんなとき、突然、声が「聞こえた!」

えっ?誰?なに?なんて言った?

 

僕の父さんは場所から光が見えるって言ってた。

父さんは科学の研究者だ。

僕は父さんに育てられた。科学が最高に楽しい世界で、科学者こそが一番偉かったはずなんだ。

誰も知らなかったこの世の原理を、誰よりも早く見つけることこそ

この世界で最も崇高なこと。

そしてその「未踏への挑戦」に生きることが最高の人生だって教えてくれたんだ。

 

それなのに

光が見えるなんて

なんて非科学的な。

僕はもわーっと不思議な何かに包まれて戸惑ったのを覚えている。

子供の頃の話だ。

 

Ver1.0 少年から理系人間としての社会人を生きてから

Ver2.0 独立経営体となって子育てにすべての知識を継ぎ込んだ人生を生きて

そして

ただただやることもなく過ごしている今、

後悔したり、こんなものかと思ったり

やっぱり早く死にたいと思ったり、でもまだ生かされることに悩んだり

幸せだったり、不幸だったり

健康診断には何年も行ったことがないけれど、不調になったこともなく

病院に行くこともなく健康そのもの、そして考えられないくらいに若い。

 

毎日、毎日がなんとなくなんとなく過ぎていく。

毎日、毎日、昼に起きて、食事して、誰かとお話しして、散歩して、

犬と遊んで、

ときどきテニスして、ときどき本を読んで、ときどき出かけて

そして毎日、毎日が、ただ過ぎていく毎日となる。

 

曜日もわからず、休日もわからず、

でも決してもうこのままではあり得ないほどの世界の変化だけはわかる。

世界は急激に変わって、いよいよもうすぐ人工知能と一緒に生きる世界がくる。

その時の人の役割とか、存在する意味とか、

今のままでは生きる目的を見失うかも知れないたくさんの人々の精神が破綻しない方法とかを

みんなより少し先に実感して探すためにこんな生活させてもらっているのかなと

少しマトモらしいことも思いながら。

 

悲しいけれど

理系としての頭はひと時も考えることをやめさせてくれない。

疲れる。異常に毎日疲れる。

生きていることに窮屈さと苦しさと無意味感から来る無力さを

毎日、毎日、毎日、毎日、とにかく積み重ね続ける毎日。

ただ何も考えずに楽しく過ごせればいいのに。。

違うね。

ただただ

すべてのことを楽しく考えられるようなプログラムになっていればいいのにね。

この出来の悪いアホな頭は

こんな無力感いっぱいのつまらない人生を作ってくれる。

このつまらない人生に「つまらん」「つまらん」と言い続けていた今、この瞬間、

 

「コジロウちゃん書いてみなさい!」って

えっ?

「きみが知ってきたことを書いてみなさい!」

はっ?

「なに悩んでるの? きみずっと前から知ってるでしょ。

 はじめて気づくように思い出すこと書いてみなさいよ!」

なにを?

 

誰?なに?

つれづれなるままに。

心にうつりゆくよしなし事を。

書きつくれば、そこはかとなく。

まあそれでいいか。

しょうもないことを書こう!

ラフに書こう!

楽しそうに書こう!

そう思います。

あやしうこそものぐるほしく。